貴船の山の中、無人の堂に一人、一晩置き去り――。
そんなトラウマを、祖父安倍清明に対する因縁の一つとして語る昌浩の話、というのがかつて少年陰陽師のワンシーンにありましたが。
実は当時、彼には視ることはできなかったものの、ずっともっくんな紅蓮がそばにいた、というほっこりエピソードだったりするんですが。
まあ、お仕置きでベランダや庭に放り出されるとか、押し入れや倉に閉じ込められるとか、昭和のお仕置きとしては割とメジャー。
例えばスーパーとか、公共の場で子どもがぐずって、親が“置いてくよ”と叱るなんてのは割と日常風景だと思うんだけど。
山の中に子ども一人、というのはやりすぎかな……。
しかも、5分とは言えそんな場所で完全に子どもから目を離す、というのは軽率すぎる。
親のつもりからすれば虐待、というのは言いすぎかもしれないけれど、親の過失は大いにあるだろう、と思う。
――あくまで、今報道されている親の証言が正しいと信じた場合の話ではあるけれど。
小学生、それもまだ2年生になりたての子どもの足で、下手をすればクマも出るような山中で、たった5分。
報道の通りの人数でこれだけ探していて手がかりすら見つからない、というのは、どうにも腑に落ちないんですよね。
山道に見当たらないなら、うっかり道を外れて崖から落ちたとか、そういう事故を捜索隊が想定していないとも思えないし。
それを踏まえての搜索で見つからない。
もともと、山菜採りではぐれたと、最初の時点で虚偽報告した事実がある以上、このご両親の今の証言も本当なのか、疑わしく思えてしまうのも仕方のない話のような気がします。
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