年末から年明けにかけていくつかあった池上氏のニュース解説番組。
その中で毎度、池上氏自身が今年一番気になるニュースとして言っていたのが、ISISやボコハラム、アルカイダといったイスラム過激派に関連するニュースでした。
実際、新年早々フランスの新聞社での事件や、まだ10代の少女が自爆テロを行っただのというニュースがありました。
――ただ。後者はともかく、前者の事件。
……勿論、テロという行為自体は絶対的にやっていはいけない、許してはいけない行為だと思います。
そして、今回その行為の標的になったのは新聞社、『ペンは剣よりも強し』という標語を掲げ、表現の自由を謳うその場所だったというのもまた、恐ろしい話なのは確か。
けれど、今回標的になった新聞社に、本当に何の非もなかったのか。
――重ねて言いますが、テロはいけません。暴力での解決は本当の解決には程遠いですから。
なので、今回の事件を起こした犯人たちを擁護するつもりはありませんし、勿論テロ行為を支持するなんてつもりも全くありません。
テロなんて安易な行為は非難されてしかるべき。それは間違いありません。
ただし、今回の事件により「表現の自由」という権利を阻害された、と言う新聞社、それに対し、テロ犯のみを非難し、フランスを擁護する各国首脳の声明にはちょっと違うんじゃないの? と思うのです。
テロ犯を非難、それはいい。むしろ国家としてそれを許したらおしまいでしょう。だから、そこはいい。
問題なのは後者。
テロ行為は許されない、――けれど、表現の自由を盾に取ったら何を言っても(書いても)いいのか?
これは、最近日本でも問題になっているいくつかの案件にも言えること。
例えば、ヘイトスピーチ。
例えば児童ポルノ規制法に関して問題になった、漫画や小説などの規制をどうするのかといった議論。
過ぎたる表現の自由は逆に名誉毀損などの罪になる可能性が大いにある事。
どちらの問題も、端的に言えばつまりそういう問題だと思うのです。
規制のしすぎは勿論良くない、かと言って規制がないからといって何を言っても(書いても)許される、というのも違う。
その線引きのあわいは難しいもの。
私はそれについてとやかく言えるような知識人でも専門家でも無いし、特にというような意見も持ち合わせないから、そこはあえて言及を避けるけど。
でも、大半がアウトだろう、と思うベクトルは両者とも確実に存在すると思う。
そして、今回のフランスの件。
襲われた新聞社は、イスラム教を風刺するような内容を掲載したがために襲われた、という報道がありました。
そして、襲われてなお、「表現の自由」を自ら守るため、風刺は続けるというような内容の声明を発表したとも伝えられました。
例えば日本で言う朝日・毎日・読売といったどちらかというとお堅い系の報道新聞にも、風刺画は掲載されます。
それは、見る方は面白くとも、風刺された側は面白くないのが普通。
……まあ、こういった媒体で風刺されるのは大概が政治家など、ある程度メディアに露出する事が前提となる人たちですから、本人たちもある程度は織り込み済みでしょう。
けれど、そうでない一般の人を、不特定多数の人間が見ると分かっている媒体にてこき下ろすという行為が本当に許されるものなのか?
今回、標的になった新聞社が風刺していたのは「イスラム教」そのもの。
テレビのニュースで日々取り上げられるのは過激派組織などのイスラム教徒。
そのせいで、イスラム教徒=過激で危険、というイメージが浸透しつつあるけれど、実際はそんなのはほんの一部で、多くのイスラム教徒はごく平和に、ごく普通の暮らしをしているのに。
自分が大切に思い、守り、信じているものを貶されたら――誰だって怒るでしょう。
そして、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国というのは、大航海時代以降、ほんの数十年前まで、世界各国を侵略、支配しては、その地の文化や信仰を否定、破壊し、自らの信仰――主にキリスト教を押し付け、現地の住民を虐げた歴史を多く持つ国々。
勿論、これは過去、歴史上の出来事で、それを今更、どこかの国のように償えなんて言うつもりはありませんが、そういう事実があったことを思い出して欲しい、とは思うのです。
さすがに今の時代、武力によって他国を侵略する、なんて国は、少なくとも欧米諸国からは出ないと思います。
けれど、思想的に他国を支配しようとする気風は無くなっていないように思うのです。
例えば、捕鯨の件。――鯨に限らず、地上のあらゆる生き物の密猟や乱獲は許してはならないこと。
けれど、正当な猟(漁)であれば、どんな生物を狩って食べても問題はないはず。
――イルカ漁が残酷? ――イヌを食べるなんてとんでもない? ――カンガルーを食べるの?
水族館に行けば、可愛いイルカショーが見られます。あれを穫って食べる、というのは私的には確かに見て楽しい場面じゃないし、同じく「イヌっ?」って思うけど、かつてオーストラリア旅行へ行った時、カンガルー(ワラビーだったかもだけど)料理は食べました。……なんせ小六の頃だったんで、美味しかったかどうかは正直微妙だとは思ったんですが。
でも。日本人だって、例えばマザー牧場とか言って、羊やら何やら見て「カワイーねー」なんて言ったあと、平気でジンギスカンとかハンバーグとか食べてるじゃないですか?
単純な個人的嗜好を他者に押し付けるのは、とんでもないありがた迷惑です。
――と。若干話がそれた気がしますが、話を元に戻すと。
フランスをはじめ、ヨーロッパ諸国の大半が、キリスト教圏にあります。
ユダヤ・キリスト・イスラム、この宗教同士のいざこざは、今に始まったことではなく、それこそ2000年近く前から存在する、とんでもなく厄介な問題です。
それを十年、二十年で簡単に解決できるはずもありません。そして、完全に解消することはおそらく不可能でしょう。
なぜなら、その教義を忠実に守るなら、確かにキリスト教は預言者を殺すという罪を犯したユダヤ教徒を“赦す”べき立場にあり、そしてイスラム教徒はそんな彼らに改心を説く立場にあるから。そして三者に共通して言えることは、一神教であるが故、他宗教は認められない。――だからこそのいざこざなのだから。
けれど、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人としてそれなりに上手く同居している土地などよく見ればいくらでもあります。
今は現代で、中世ではないのだから、宗教の原理主義にこだわりすぎることなく“大人の付き合い”をしていくことは不可能ではないという証明が、いくらもなされています。
なのに、どうして上手くいかない部分ばかりがクローズアップされて、イスラム原理主義なんてのが幅を利かせるのか。
最近の報道で、彼らの主張としてよく挙げられるそれの中、「西洋文化を認められない」というのがありました。
これについて一番分かりやすい事件が、「マララさん」や、ボコハラムの「女生徒誘拐事件」でしょう。
女性は家で男性に守られているべき存在で、女性に教育など以ての外、という主張です。
日本で生まれ育ち、また女である私個人としては、もしもイスラム過激組織が言うそのままの扱いを強制されるなんて事があればたまらない、というのが正直な感想です。
実際、そう思う女性は日本に限らず多くいるはず。
……けれど、そういう思想が「西洋的」であるのは確かで。
その主張を「とんでもない」と思っている日本の女性観も、その「西洋」から見れば「とんでもない」のだと理解できている人がどのくらい居るのかな?
都議会の「セクハラやじ」が話題になったのって、確か去年の今頃……でしたっけ?
あの時、あのVTRを見た欧米諸国が日本を非難していましたが、さて、約一年ほどたった今、日本の女性に対する価値観がどれほど変わりましたか?
――つい数ヶ月前、国会でまた「セクハラやじ」っぽい問題が取り沙汰されましたよね? 安倍政権が「女性が輝く社会」なんて掲げているにも関わらず、「マタハラ」だのなんだの、全く変わった気はしないですよね?
他所から持ち込まれた他者の思想を一方的に押し付けるだけでは何一つ解決しないのです。
それに学んで、自ら変わろうとしない限りは、変わらない。
それを理解しないといけません。
――そういう意味で、「マララ」さんの存在は一つの変化の兆しではあるでしょう。
けれど、こういうものは一夕一朝には変わらない。何世代もかけなければ変わりきれない。
それを無視して、武力で早急に解決し、圧力によって自分たちの考えを無理矢理浸透させようとした。
自分たちが正しいと信じて、それを正義として行った。
――それは、本当に罪にならないのか?
今のように過激派が多く力を持つようになった事。
そして今回のフランスの一件。
本当に、非難されるべきはテロ犯だけなのか?
先日、日本のヘイトスピーチには裁判所が「NO」を突きつけました。
それが、一つの答えかと思います。
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